福島の復興と声
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11月8日 福島県郡山市
郡山市のビックパレットに向かう車中、FM電波からは通常時の10倍以上の放射線量が伝えられ、
0.3μSv/hにアラームが設定されている僕の線量計は鳴りっぱなしだ。
部活帰りの高校生は談笑しながら、自転車で帰宅し、
子どもたちはマスクもせずにコンビニで母親にお菓子をねだっている。
日常のありふれた光景。
そんな光景を見ていると自分の車の中だけが異常なんじゃないかと一瞬思ってしまう。
この日、川内村の避難所となっていたビックパレットで村の除染に関する説明会が行われた。
(川内村は一次全村避難をした村だが、現在、20キロ圏外に位置する地域の村民は帰宅が可能。)
電力中央研究所から派遣されている除染アドバイザー井上氏は、始終、数値が低く見えるようなデータを用い、
事故の被害が少ないように見せていた。
しかし、まともに聞けば辻褄の合わない説明も、最終的には国が定めた暫定基準値を用いることで、
「大丈夫です」と、いつかテレビで聞いたような言葉が繰り返されることになる。
暫定基準値については、「私は専門ではないが、学会で聞いたことがある」という始末だ。
11月からモデル事業が始められ、1月から本格的除染が開始させる予定だが、
除染の効果が資料からは全く見えず、論理が破綻し、早く帰村することだけが一人歩きしている。
終了後、隣の大きなホールで開催されていた東電による富岡町民(村全体が警戒区域)への説明会を聞いた。
既に東電の説明は終わり、住民からの質問時間にはいっていた。
富岡町民の痛切な訴えがホール中に響いている。
「震源地に近い女川はもったのに、なんで福島はたえられなかったんですか。
2F(福島第二原発)はもったじゃないですか。一生この地域で終わろうと思ってたのに。」
川内村の除染説明会にはあれだけテレビクルーがいたにもかかわらず、
ホール一杯に響きわたる彼の声を背にテレビクルーは次々と出口に向かって行った。
次々と怒りを表明する富岡市民の声だが、その声はテレビ電波にはのることはない。
もう既に同じようなシーンを押さえていたのかもしれないし、次に取材があったのかもしれない。
何を撮るかなんて僕が口を挟むことではないのだが、
通り過ぎた彼らにはせめて立ち止まって、何を訴えているかぐらいは聞いて欲しかった。
それぐらいの怒りが伝わってきた。僕らは彼らの声に変に慣れてはいけないと思う。
最後には東電社員が25名、富岡町民に向かって一列になって頭を下げていた。
説明会終了後、
小さな子どもと郡山に避難してきたという母親が東京電力社員に「郡山にいて本当に大丈夫なんですか」と質問していた。
「大丈夫です。郡山にいても大丈夫です。私は何度か孫も呼んでいますし。心配ありませんから。」
どう見ても親身になって本気で言っているようにしか思えない表情に何か怖いものを感じた。
11月8日 川内村民向け「効果的、効率的な除染の進め方講演会」。郡山市ビックパレットにて。
講師福島県除染アドバイザー井上正(電力中央研究所研究顧問)
富岡町への東電による住民説明会。