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帰村、除染、旧警戒区域。(1)

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4月26日、埼玉の友人宅から新幹線に乗り、郡山へ。そこから川内村を目指し、東へ車を走らせた。
約一ヵ月半振りの福島県訪問となる。

福島第一原発の第2ステップ完了を受け、この一ヵ月半のうちにも状況が変化してきている。
3月26日には、川内村役場が帰村し、4月6日からは川内村の保育園、小、中学校が再開。
4月22日、川内村村長選挙では帰村宣言を行った現職の遠藤氏が1000票近くの差をつけて再選した。
4月1日には田村市と川内村の警戒区域が解除。
引き続き、4月16日には南相馬市の警戒区域も解除された。
新たに「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」、「帰還困難区域」が設定され、
検問が福島第一原発に前進した。

 


*詳細レポートは追加取材をしたものを含めて改めて報告させて頂きます。

参考リンク:
警戒区域と避難指示区域の概念図(http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20120401map.pdf
新たな避難指示区域設定後の区域運用の整理(http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/20120330_02f.pdf



福島県田村市滝根町 Tamura city

平野部の桜はほぼ満開だったが、山間部は7割から8割といったところだろうか。
車を川内村に走らせる途中、田村市滝根町で大きな鯉のぼりが桜の木の間をぬうように悠々と泳いでいた。
この地域では、昔から子供が生まれると鯉のぼりをあげ、両家の家紋をあわせたのぼりが玄関先に飾られるそうだ。
生まれたばかりの男の子の誕生が盛大に祝われた。

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福島県川内村 Kawauchi Villege
26日の夕方遅く、川内村に着いた。
3月に訪れた時よりもすれ違う車両が多い。
以前より少しだけ、人の営みを感じる。
お世話になっている友人に挨拶をして、この日は彼の家で休ませてもらった。

27日、午前8時半、川内小学校着。
4月6日に学校再開にあわせ現在16人の生徒が戻っている。
ピアニカの音や子供の元気な返事が廊下まで聞こえてくる。
廊下では用務員さんがせっせとモップがけをしている。教員は用務員さんを含め15名とのこと。ELTの先生も来ている。
校庭へ向かうと、2月には大量にあった汚染土が仮置き場へと姿を消し、表面をはぎ取られ雨でぬかるんだ土が顔を出している。
除染作業を終えた校庭のモニタリングは毎時0.12μSv(4月27日、午前10時)。校庭での体育はまだ再開していない。
教頭先生へ改めて伺う旨を伝え、村内の除染を請け負う復興組合へと向かった。

村内の除染は川内村復興事業組合が請負う。
地元業者が大半を占める中、復興組合には東電環境エンジニアリングとウツエバルブが放射線管理の為、
組合の一員として業務を行っている。(川内村の除染事業については、現在取材中のため後日記載。)

午前11時半、組合を後にして村役場へと向かった。
ある職員が話す。
「避難先の郡山市は線量が比較的高いから、郡山に比べて線量の低い川内に戻るか、
線量が高くても原発から離れた郡山に住むか。」

週4日以上、川内村に滞在している人間を含めて、現在約500人が村に帰ってきているとのこと。
役場職員の大半は家族を避難先に残し、一人で川内村に戻ってきている人間が多いという。
戻る人間も、避難する人間もそれぞれにリスクを抱えている。

2011年5月からオープンしているという役場の裏にあるコンビニでお弁当を食べ、
2011年に廃校となった福島県立富岡高等学校川内校を訪れた。
飯館村に工場のあった菊池製作所の工場がこの高校に出来るのだという。
夏に始まる予定で、50人程の雇用が臨まれると役場の職員が話していた。


警戒区域解除によって関係者以外立ち入り禁止の検問所は富岡町との町境付近(自身の線量計で毎時0.8μSv。)に変更された。
未だ帰れない家屋は3軒にまで減少した。
旧検問所と今の検問所のおおよそ半分程の場所には除染作業へ行き来する車両をサーベイする人員も配置されている。
一時帰宅と原発復旧車両についてはここではサーベイを受けない。

そこから、役場方面に車を走らせると、蕎麦畑の看板が見えてきた。
鍋倉と呼ばれる汚染土の仮置き場のある場所だ。元々、蕎麦畑があった山の中に今は汚染された土が置かれている。
もやのかかった林道を登り7、8分。突然、真っ白な空間に青が開けた。
程なくして見えてきたのは約7000個にものぼる汚染土の入った袋の固まりだった。
現場作業員から聞いた話では、鍋倉の仮置き場には27日時点で約7000個の汚染土の入った袋が置いてあり、
さらに1日200個程度の袋が持ち込まれるとのこと。
撮影中も、10分間隔程度で袋を6つ積んだトラックが引っ切りなしに往来する。
今、川内村は新たな仮置き場を探している。


参考リンク:仮置き場2地区増設方針(福島民友) http://www.minyu-net.com/news/news/0426/news8.html

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福島県南相馬市 Minami Soma city
翌日の28日、警戒区域が解除された南相馬市へと向かった。検問へ向かうと川内村より遥かに多い車両が検問へと向かって走って行くが、ほとんどの車は検問所でUターンして戻ってくる。多くが地元の車両だった。
検問所から小高区浦尻方面へと車を進める。海辺から遠く離れた場所でも潮の香りを強く感じる。
以前は田んぼだったという場所も海水と砂が流れ込みかつての様相をなしていない。
震災の影響を色濃く残した建物が並び、トラクターや車両もそこら中に散乱したままだ。
少し海水が引いて固まったのだろう。道路にびっしり並んだフジツボが乾燥して地面を覆い尽くしている。
旧警戒区域には、震災から1年経った今も、人間だけが営みをやめてしまった風景が現在進行形で進んでいる。

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