KAZUMA OBARA

川内村に生きる

«July 6th, Demonstration at prime minister's official residence.移動の民 ベトナム、タイアン村»

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「金の為にやってるんじゃない。あんたも写真が新聞に載ったらうれしいだろ。それと一緒で収穫の喜びのために作ってるんだ。」 

10月7日、8日と福島第一原発から30キロ圏内になる川内村の秋元さんを訪れた。昨年は作付けが禁止されたこの村で、唯一検査用に作付けを行った秋元さんの水田は、原発事故から約1年半が経った2012年の10月、2度目の刈取り時期を迎えた。今年度、原発から30キロ圏内の作付け禁止は解除されたものの川内村は村独自の判断で自粛を決め、検査作付けは出来てもそれを農家が消費することも出荷することも許されていない。今年度も米を廃棄しなければいけないという状況が続く。 

秋元さんは今年の5月、田植えの直後から撮影をさせて頂いている。今では立派な大人になったアイガモも、5月の時点では小さなかわいいヒナだった。 


「13年かけて作りたかったのはこの米だ。」 そう語る秋元さんの田んぼはアイガモ農法という農薬を使わない有機農法で稲作が行われている。初孫の女の子が生まれた年に、安全なものを食べて欲しいという想いから13年にわたり、試行錯誤で有機農法を行ってきた。一晩中降り続けた雨を吸い取った稲穂は、雨露をしたたらせながら、大きく頭を足れている。 昨年度は、放射性物質が検出されなかった秋元さんの米。今年の検出結果は11月中に分かる予定だ。今年はアイガモを田んぼに放ったことで土壌中の放射性物質を取り込んでくれているかもしれないという期待と、事故から1年半の間に山からある程度の放射性物質が流れ込んできているのではないかという不安がある。放射性物質を吸着するゼオライトの使用も有機農法には向かず、なによりも13年かけて作ってきた土が壊れてしまうという懸念がある。

言うまでもなく、第一原発事故後、福島県産の農作物のブランドには大きな傷がついた。秋元さんは原発から30キロ圏内に位置する双葉郡のイメージを変える為にと、 田植えと稲刈りボランティアを県内外から募り、川内村に招いている。田植えには50人程が、稲刈りには30人程が参加している。秋元さんの長男家族も一緒に初心者の人たちに稲の刈り方、結び方等を教え、笑い声の絶えない収穫だった。 今年4月から村長の呼びかけで帰村が始まった川内村。補償が今後どれだけ継続されるか分からない段階で、双葉郡の作物をいかに売るかということは、専業農家にとって喫緊の課題である。 

作業の合間、ある記者が秋元さんにこんな質問をした。 「この米を見てどんな気持ちですか?」 秋元さんは答える。 「申し訳ない気持ちだ。申し訳ない。米は本来、人に食べられるために作られるんだ。豚や牛だって一緒。家畜も作物も食べられる為につくられる。それが、食べられもせずに廃棄されるのは、米に申し訳ない。」 

10月18日、稲作に関する来年の方針が決められた。 「コメの作付け自粛を村内の旧緊急時避難準備区域で解き、稲作を再開することを決めた。」「旧準備区域の水田218ヶ所の土壌を分析し、1キログラムあたりの放射線セシウムが1,000ベクレル以下にとどまるのが78%を占める結果を得た。8割の水田で除染が完了し、再開を決めた」(河北新報)

同日の午後1時過ぎ、秋元さんの別の田んぼを訪れていた僕は、廃棄される稲を撮影していた。この日とその前日、二日間かけて川内村で作付けが行われた30ヶ所の田んぼで稲の廃棄が行われた。廃棄完了と同日に稲作再開が決定されたのだ。  

廃棄は秋元さんも立ち会いのもと15分程で完了した。 役場の職員が3名、機械で刈り取れなかった数本の稲も鎌で刈り、丁寧に廃棄していった。 


撮影を終え、秋山さんが去ってから、しばらく、その田んぼを眺めていた。 あたり一面の雑草だらけの田んぼと、廃棄された田んぼ。 どちらがより残酷な風景なのか。比べることに意味もないが、そんな思考が頭をよぎった。程なくして、人の去った田んぼには、からすやすずめが稲穂を食べに舞い降りてきていた。

撮影を終えて帰る車中、以前は田んぼであっただろう土地にセイタカアワダチソウの黄色い花が一面を埋め尽くしていた。菜の花だと言われたら綺麗だと思ったかもしれない。除染のために植えているんですと言われたら理解出来たかもしれない。しかし、この物静かな山村には不釣り合いなほどセイタカノッポの外来種は、見ている僕にいらだちと不安感をよぎらせる。以前の風景を知る村の人たちにこの光景はどう映るのか。 

個人的な話だが、この撮影の約1週間前に祖父が亡くなった。生まれた頃から祖父母とくらしていた僕は、小学生の頃、よく祖父母の寝室にお泊まりと称して、布団を持って間に挟まって眠っていた。今、実家のその部屋には昨年無くなった父の祭壇と一緒に新しい祖父の祭壇も置かれている。8条間に大きな祭壇が二つ。見慣れない風景は、その以前をいらなければ、そういうものだと素直に受け取ってしまうだろう。また、それ自体に関係なければ、すぐに慣れてしまうかもしれない。しかし、その風景と関係性がある以上、突如表れてしまった風景は、なかなか受け入れられないものだし、受け入れるには1年や1週間という時間は短すぎる。突如として、以前の風景がフラッシュバックし、もう戻れないあの日の頃に想いが立ち戻る。 


どうにもならない悔しさと変わらない現状は、これからどのくらい続くのか。




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