KAZUMA OBARA

ウクライナにて

«Slide & Talk 『Silent Histories -六十九年ノ沈黙』[開催中止]Contemporary Photojournalism and Documentary Photography [Workshop]»

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Photo by Kazuma Obara, Slavutych city, 08/03/2015 

ウクライナで今年は3月11日を迎える。
震災以降、様々な人に出会い話を聞いて、撮影させて頂いた。宮城県の親友の地元を訪れ、それから福島で大切な出会いがあって、それから本当に色々なことがあって、今、ウクライナにいる。
今日は29年前の5月1日にチェルノブイリで働く作業員の人たちに演奏をした演奏者にあった。
チェルノブイリ事故の5日後に軍から派遣された演奏者たちは昼食と夕食の間、3ヶ月に渡って演奏を行っていたそうだ。

一昨日まではスラブチッチ市という場所を訪れていた。
1970年に創設された閉鎖都市、プリピャチはソ連からチェルノブイリ原発を運営するために人々が移住し建てられた場所だ。
その26年後に事故が起き、作業員はプリピャチからスラブチッチに避難し、現在もチェルノブイリで働く作業員の多くがスラブチッチから収束現場へと向かう。スラブッチ市は1986年に作業員が生活する拠点として新たに作られた町だ。

ウクライナに来てから10日が経過し、これまでに約15名程の元収束作業員に会った。一昨日は3世代に渡り、収束作業に臨む作業員に出会った。現在収束作業に向かう28歳の息子。父親は最近、現役を引退した。祖父はチェルノブイリ建設前から原子力に携わっている。父親の世代、事故直後は作業員に対しての世間の理解は乏しかったという。それによる問題もあった。しかし、息子の世代には、そういうことは無くなったと。時間が解決したと。

小学校に行き、ある授業にお邪魔させて頂いた。お父さんが作業員の人は?と聞くと、クラスの5分の1ぐらいの子が手をあげた。市の経済は原発に依存している。しかし、チェルノブイリ原発が2000年に発電を止めてからは雇用の場も少なくなっている。約1000人の人口が発電停止後、減少したとのこと。

3日前には、スラブチッチ市の市長に会った。今後の市の運営の為に使用済み核燃料の保管などの事業を行うことを想定していると。現在、ウクライナは発電の約50%を原発に依存している。ロシアとの関係悪化が深刻な状況の中、自国でエネルギーを確保することは国を維持する為の一つの生命線であろう。そして、原発を維持する為には必ず核廃棄物が生まれる。誰かが処理しなければいけない。

市長にあった翌日、チェルノブイリ原発のテクニカルディレクターに出会った。テクノロジーが発展しても、人間が収束作業の生命線だと。

21世紀の町を想像して作られたスラブチッチ市は、すぐれた環境を市民に提供している。先天的に障害を抱えた子どもが通う幼稚園には子どもたちの精神的なストレスを最大限に減らすため、アロマやマッサージ、医療機器などが備え付けられ、その努力が伺える。この29年間に多くのスポーツ選手や才能のある人々を輩出している。その写真が誇らしげに学校の壁に並んでいる。

市の郊外には墓地がある。事故後亡くなった作業員の墓にはチェルノブイリ原発の絵が刻まれているものが多い。
事故後の収束作業に臨んだ作業員は英雄となった。

ウクライナの首都、キエフにあるチェルノブイリ博物館には約4000人の収束作業員の写真が並ぶ。個人から提供された手紙や服、写真などは、彼らが事故後、どのように歩んできたのかという個人の歴史を伝える。元々、収束作業に携わった消防士が始めたという展示が5年後には、内務省管轄の博物館として運営を開始している。

翻って今の日本はどうなのか。1月からロンドンで生活をしているので、現状を把握しきれていないことは確かだ。それでも、やはり確かだろうと思うことは、私たちの国で行われている議論には決定的に、原発で働く人たち、そして地域のことが忘れられている。それは福島だけではない。柏崎だって、川内だって、どこだって、原発が停止した状況で経済的に困難な状況になっている人たちのことが決定的に忘れ去られている。

忘れなてはいけない。エネルギーの転換をはかることは、電力を受ける側にとってはメリットかもしれない。しかし、核のリスクを背負い続けるのは、原発立地地域とその周辺の住民だということを。正しく防護すれば、健康に生き続けられる仕事なのかもしれない。それは専門家ではない僕にはなんとも分からない。どんな仕事だって、それ相応のリスクが伴うという言い方だって出来るかもしれない。都市部は電力を供給し、お金を生み出し、地方は、そのお金を生み出す為に、電力を生み出す役割を負っているという言い方も出来るかもしれない。

でも、誰かがやらなければいけない仕事をやっているということには変わりはない。
そして、その誰かがやらなければいけない仕事を生み出しているのは、他でもない電力を消費してきた人間だ。
それは忘れてはいけないと思う。

ここまで書いたことは、この10日間に見聞きしたことと考えたことのほんの一部でまだまだ補わなければいけない情報は多い。通訳を通じての取材のため、なかには訂正をしなければいけない情報もあるかもしれない。ただ震災から4年を経過する前に自分の取材ノートとして、この数日間のことを記しておきたかった。明日は、事故直後に原発の撮影を行った軍関係者に出会う。そして、来週にはチェルノブイリ原発周辺を訪れる予定だ。

最後に、ここ数時間ずっと頭の中に残っている言葉は、問題は時間が解決してくれるという父親の言葉だ。
福島でも問題は時間が解決してくれるのだろうか。
僕らはいい加減、歴史に学ばなければいけない。時間が解決するのを待つことは出来ない。

2015年3月9日、キエフにて。












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