KAZUMA OBARA

チェルノブイリ原子力発電所作業員取材プロジェクト資金支援のお願い

«Contemporary Photojournalism and Documentary Photography [TALK]Book Launch "Silent Histories" by Editorial RM»

福島第一原発事故から来年で5年が経過しますが、現場では既に事故当時中学生だった子どもたちが働き始めています。そして、今後はこれから生まれてくる赤ちゃんたちが将来働かなければいけません。私たちの世代が残した事故現場を次世代にどういう状況で引継いでいけるのか。そして、高線量被爆をした(している)作業員たちへのケアはどうなされていくべきなのか。それらの疑問の答えを探せるのではと、来年で事故後30年を迎えるウクライナ、チェルノブイリ原子力発電所の取材を2015年の2月から開始しました。これまでの取材で41名のリクイダートルと呼ばれるチェルノブイリ事故後に収束作業を行った作業員(主に50代〜60代)と、事故後に幼少期を過ごし、現在チェルノブイリ原子力発電所で収束作業または廃炉作業を担う作業員(20代〜40代)12名、そして避難生活を送っている人々のそれぞれの状況についてインタビュー/撮影を行ってきました。また、チェルノブイリ発電所内の新石棺作業、1号機原子炉内部の撮影なども行ってきました。

来月の9月から12月の間に3回ウクライナを訪問し、さらに取材を深めたいと思っています。

取材内容を発表するまでには、現地の言葉(ロシア語/ウクライナ語)から英語への翻訳、そこから日本語への翻訳を行うという工程を経ます。発表には翻訳費用を含め、まだまだ資金がかかりますが、自己資金を中心に取材を行っている為、日本語訳までの資金の目処が現在たっておりません。今後の取材資金を含めた発表までの資金のご支援を頂けないかと思い、この度、プロジェクト支援のお願いをさせて頂いてます。取材概要、支援を頂いた方に対しての特典など、下記に詳細を記しました。ご支援、何卒よろしくお願い致します。




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【支援金使途】

取材通訳/インタビュー内容翻訳費用、プリピャチ市(立ち入り禁止区域)での取材費(禁止区域の入場には一人100USドル、その他、ドライバー、ガイド費用等がかかります)、燃料費、ドライバー費用等、交通費、宿泊費


【取材内容発表方法】

日本語への翻訳費用の目処がつき次第、随時、フォトエッセイを通して、翻訳したインタビュー内容をお送りします。また、取材終了後はウェブサイトを通しての発表及び各地で写真展や講演会を行いたいと考えています。また、写真集をヨーロッパの出版社より刊行予定です。日本語版の写真集として自費出版によるハンドメイド写真集の出版も考えております。


【支援方法/お問い合わせ】

口座振込のみ受け付けております。

(大変申し訳ございませんが、振込手数料は支援して頂いた方の負担となります。) 

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支援額に応じて、下記のフォトエッセイを送らせて頂きます。フォトエッセイはメールにてお送り致します。口座振り込みと同時に下記メールアドレス宛に振り込んだ旨をお伝えください。メールタイトルに「チェルノブイリプロジェクト支援」、内容に氏名、振込金額、希望の特典を記載ください。

kazuma924アットマークgmail.com (アットマークを@に変えてください)


【支援特典】

ご支援いただいた方には、取材経過をフォトエッセイにまとめたPDFのレターをメールにて発送したいと思います(一つのフォトエッセイは約30枚の写真と文章で構成予定)。今後の取材内容に関しては、最終的な発表までは、原則ご賛同を頂いた方のみへの情報発信となる予定です。(メディアを通しての発表は想定されますが、自分のウェブサイトを通しての発表は行いません。)そして、取材終了後には、私のウェブサイトにて、日本語への翻訳内容を無料で全て公開する予定です。


○特典詳細

>>1,000円 ご希望の月のフォトエッセイを1回メールにて送らせて頂きます。

>>3,000円 これから取材を行う3回分のフォトエッセイとこれまでに撮影した写真で構成したフォトエッセイ1つ、計4回のフォトエッセイを送ります。

>>5,000円 これから取材を行う3回分のフォトエッセイとこれまでに撮影した写真で構成したフォトエッセイ2つ、計5回のフォトエッセイを送ります。

>>30,000円 フォトエッセイ5回分と全ての取材をまとめたハンドメイド写真集を送ります。限定10部。送付予定月は来年2月以降になります。(送付日程が決定次第連絡致します。)



○フォトエッセイ発送予定日

9月下旬 チェルノブイリ原子力で働く若手作業員のドキュメンタリー

10月下旬 プリピャチ市(立入禁止区域)、チェルノブイリ原子力発電所内部の写真等

11月下旬 2015年3月〜8月の間に撮影したフォトエッセイ

12月下旬 2015年3月〜8月の間に撮影したフォトエッセイ

1月下旬 リクイダートルインタビュー、ポートレート等



【概要】

チェルノブイリ原子力発電所では1986年4月の事故以降、約60万から80万人の人間が収束作業に携わったと言われています。そこで事故直後に作業に携わった人々は英雄とされ、国(当時のソヴィエト連邦)から早期の年金受給、医療の無償化等、様々な保障が約束されました。しかしながら、その後のソ連崩壊、また近年においては2013年のユーロマイダン、翌年のロシアによるクリミア併合、続いて、ウクライナ東部ドネツクでのロシアとの戦闘状況はウクライナ経済に大きな打撃を与え、収束作業員に約束されていたはずの年金の支払額の減少、滞りなど、事故から30年を経る中で保障を現実的に維持することが難しい状況が続いています。また、事故後の被爆による死者と障害を負った人数は膨大な数に上ります。(発表団体によって様々なデータがあるため、現時点での詳細の記述は避けます。)

一方、現在、チェルノブイリ原子力発電所で働く若手の作業員たちは、事故直後に親が収束作業の為に移住してきた人が中心となっています。事故後から立入りが制限されることになったプリピャチ市は1970年代にチェルノブイリ原子力発電所の建設/運用に先駆け建設された都市です。原子力の技術者の他、建設の為の作業員が移住し、事故当時は約4万人の人口がいたと言われています。1950年代から大きなうねりとなった核の平和利用という流れの中でソ連は1970年代に多くの原子力発電所建設に着手します。その一つがチェルノブイリ原子力発電所でした。

事故後、作業員は比較的線量の低い地域へ避難しながら収束作業に臨んだわけですが、大量の作業員が居住出来る場所を確保することが必要となりました。現在、チェルノブイリ原子力発電所で働くほとんどの人間が住んでいるスラブティチ市という町はその過程において、事故が起きた年の1986年にソ連によって建設が決定され、プリピャチ市の変わりとして、技術者を中心に人々は避難しました。

その建設現場を遊び場としながら、成長してきたのが、現在の30代から40代前半の作業員です。チェルノブイリ原子力発電所で働くことが当たり前の環境で育ってきた彼らは、どのような想いで働いているのか。先月行ったインタビューから一部を引用します。

「私の親は1988年にチェルノブイリ原子力発電所の仕事をするためにウクライナの他の地域から移ってきました。私が働き始めた頃は、原発事故について特に何か特別な思いを持ってはいなかったのですが、しばらくしてから、廃墟となったプリピャチ市を訪れるようになり、気持ちの変化がありました。原発で働くことの責任感、重みは毎年、増していきます。しかしながら、30年が経過しようとしている中で、私たちのほとんどは事故を忘れて行っています。特に20代の作業員の原発事故に対する知識不足には問題があると思います。勉強を通して、態度は変わって行く可能性があるかもしれませんが、昔の経験から学ぶことが出来なければ、事故の可能性は必ず高くなります。再び、新しいスラブチッチ市を作らなければいけない必要性が出てくるかもしれません。事故が無ければ、私はこの町に住むことはなかったので、不思議の気持ちでもありますが。

 仮にスラブティチ市以外の人が関心を持たなかったとしても、チェルノブイリ原発にこれほど関わっている地域はないのだから、私たちが関心を持たなければ行けない。事故の経験を忘れてはいけません。昔の間違いを忘れてしまう人間は、過ちを再び繰り返します。」

1950年代以降、核の平和利用の名の下に世界規模で原子力に対する大きな夢を人類は見てきました。そして、冷静構造下のいびつな政治バランスの中で、その夢を担って多くの人間が、原子力に携わってきました。そして、事故が起こり、その途方も無い大きな夢のリスクを負って、今もなお、次世代の人々が作業をしている現場があります。

事故後に作られた石棺はコンクリートの劣化が進んできたために、現在、新石棺の建設がフランスのジョイントベンチャー企業NOVALKAによって進められています。これまで、資金の目処が立たず建設が滞っていましたが、世界中からの資金支援を受け、2010年には着工、2017年には完成する見込みです。そして、そこから100年間はその新石棺によって、放射能を封じ込めることが可能だと言われています。

新たな作業を終えてもなお、次の世代、そしてまた次の世代へと仕事は引継がれて行きます。

これまで、収束作業に従事した年配の作業員の人々への取材を中心に行ってきましたが、今後は若手作業員の取材に軸足を移し、これからずっと続いてく作業員の生活について考えていきたいと思っています。


プロフィール

1985年、岩手県生まれ。フォトジャーナリスト。KEYSTONE(スイスフォトエージェンシー)パートナーフォトグラファー。宇都宮大学国際学部で産業社会学を専攻。金融機関の営業職として働く傍ら、DAYS JAPANフォトジャーナリスト学校に通う。2011年の東日本大震災直後に会社を退職し、東北沿岸部の取材を開始。福島第一原発内部の写真を撮影した写真はヨーロッパを中心に幅広く紹介された。その後、原発作業員のポートレートを撮影し2012年には写真集「Reset Beyond Fukushima」がスイスのLars Muller Publisherから出版される。同時期にスイスのフォトエージェンシーKEYSTONEと契約。2014年には太平洋戦争下で空襲の犠牲者となった子どもたちのその後を追った「silent histories」を手製写真集として自費出版。同写真集はParis Photo First photobook Award shortlistの他、米TIME紙、英Telegraph紙、Lens Cultureなど様々な媒体でBEST PHOTO BOOKS 2014に選ばれる。2015年1月よりLondon College of Communication MA Photojournalism and Documentary Photographyで学びながら、ウクライナのチェルノブイリで長期プロジェクトに取り組む。国内外での写真展、トークイベントを多数開催。写真はThe Guardian,  Courier international, ZEIT, El Mund,DAYS JAPANなどで掲載される。


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