Kazuma Obara

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10月13日(土)-11月25日(日) 原爆の図丸木美術館にて小原一真写真展 [Exposure/ Everlasting]を開催

  • 2018/10/15

 

小原一真写真展「Exposure / Everlasting -30年後の被曝に向き合うために」
丸木美術館にて10月13日(土)- 11月25日(日)開催

作家トーク「写真の力が揺らいだ時代の表現とは何か?」
11月25日(日)午後2時 参加自由(入館料別途)

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2018/obara.html
»はじめに
2011年3月から東日本大震災の取材を開始した私は、福島第一原発で働く作業員との出会いをきっかけに社会からその存在が見えずらい人々の個の姿、想いを伝えようと撮影を行ってきました。浜通り、中通り、会津地方。警戒区域、非警戒区域。酪農、農業、水産業、林業。留まる人、避難する人。それぞれの個人の現在を記録し、問題の周辺にいる私が見えていない何かを視覚化したいと思っていました。しかしながら次第に私は、目の前に起きた事象を切り取り問題を伝えるという、自分が行ってきた方法論に限界を感じ始めました。私が撮る写真は、常に現在の、しかも物理的にアクセス可能な一点であり、それらの写真が未来に起こりうるかもしれない問題、つまり被曝による長期的な影響などの自分たちからは「見えないもの」に対し、何か機能しうるものではなかったからです。私は、過去によって引き起こされた現在、その先にある未来を発展的に読み解けるような写真表現を求めました。それは、時間や空間的な制限、バイアスや偏見を打ち破って、建設的な思考を想起させるための写真表現でした。

時間の経過とともに視覚では捉えにくい原子力事故の課題、問題に対し、私たちはどのように向き合うことが出来るのか。現在のチェルノブイリを撮影したこれらの写真が、それを考える一つのきっかけになることを願っています。

 

»Exposure -目に見えない障害
2015年3月に初めてキエフを訪れた私は、翌年に30歳を迎えるウクライナ人女性、マリアとの偶然の出会いを通して、他人の目には見えないチェルノブイリ原子力発電所事故から30年後の被爆の影響を知りました。母親の胎内で被曝をした彼女は、しかし、長年に渡り精神疾患として誤診され、19歳になった時に初めて慢性甲状腺炎(橋本病)という診断を受けました。その後、23歳で甲状腺を取り除いた彼女でしたが、現在も一日10錠から20錠近い錠剤を飲みながら、ホルモンバランスを整え日々の生活を送ります。その行為は彼女が生きている間、ずっと続きます。しかし、それでも健常者のようには生活を送ることが出来ません。彼女は目に見えない障害を抱え、周辺からそれを理解されない環境下で苦しんでいます。私たちが、見ているものは何か、見えないものは何か。私は偶然に得た事故で被爆した中判フィルムを近い、目に見えないチェルノブイリの影響を見るための表現を試みました。
一方、チェルノブイリを取り巻くメディア環境は、30年の中で徐々に変容を遂げていきます。チェルノブイリ事故によって生まれたミュータントを殺していくRPGゲーム「S.T.A.L.K.E.R.」が2007年に発売され、全世界的なヒットをしたことを皮切りに、2011年にはウクライナ政府が原発事故による立ち入り禁止区域を一般旅行者にも開放し、以降、チェルノブイリ原発と隣接し、現在は廃墟となったプリピャチをめぐるツアーには年間1万人が参加し、廃墟を背景にしたセルフィーはSNSを通して、全世界に拡散されています。2013年には、「Chernobly Diaries」というホラー映画もハリウッドで制作されました。マリアのように事故の障害が目に見えづらくなる一方で、分かりやすい形でチェルノブイリというものがエンターテイメントとして消費されています。

 

 

»Everlasting -事故によって生まれた町、そこで営まれる日常、繰り返されていく人々の生と死。
2011年に福島第一原発作業員のポートレートプロジェクトを始めた私がチェルノブイリを訪れた1番の動機は、30年後の作業員の姿を見て見たいということでした。事故の翌年にソ連政府によって建設された新しい町、スラブチッチ市は、原発に隣接するプリピャチ市から避難してきた作業員の新しい居住地域となり、事故後に引かれた線路は、新しい町と原発をつなぎ、今でも当時使われた同じ列車が通勤に使用されています。いつ終わるかも未だに分からない作業は、ファミリービジネスのように、親の世代から子の世代、そして、孫の世代へと引き継がれていきます。私は、1組の若いカップルとの出会いを通し、彼らを2年間追い続けました。原発で働いていたかつての同僚は恋人になり、結婚し、そして、子供が生まれました。衰退するウクライナという国家、収束作業を生業として存続する町、そこで生まれる新しい命。収束とは何か。それを誰が担うのか。作業員の通勤風景、そして日常の様子を通して、人類が今後、向かい合うべく収束作業について考えます。